今、エリザベス・ゴンザレス氏の話題で非常にザワザワしてるパリ五輪の柔道の審判員!
オリンピックレベルになると招集される審判は世界審判ランキング上位から
16人しか選出されないって知ってましたか?そんなスーパー審判の1人に日本人が居るんですよ!それが天野安喜子さんです!
しかも、なんとですねぇ、天野さんは国際レベルの柔道審判だけでなく、
花火師という顔ももってるんですよ!めちゃくちゃ興味深いですよね?今回は天野安喜子さんの経歴やなぜ審判と花火師の二刀流なのかを調べて見ました!
天野安喜子さんのwiki経歴
出典元:https://mainichi.jp/articles/20210726/dde/001/050/045000c
プロフィール
氏名:天野安喜子(あまの あきこ)
生年月日:1970年10月31日(53歳)
出身:東京都江戸川区
保有資格:柔道七段、柔道整復師、芸術学博士、火薬類製造保安責任者
選手(48kg級)の戦績
1985年 – 強化選手選考会 3位
1986年 – 全日本女子柔道大会 優勝
1986年 – 体重別選手権 3位
1986年 – 強化選手選考会 2位
1986年 – 福岡国際 3位
選手(52kg級)の戦績
1987年 - 全日本女子柔道大会 優勝
1987年 – 体重別選手権 3位
1987年 – 強化選手選考会 優勝
1988年 - 体重別選手権 3位
1990年 - 強化選手選考会 3位(56kg級)
引用元:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%87%8E%E5%AE%89%E5%96%9C%E5%AD%90
まさに文武両道とはこのことですね(^^)
なんだか自分が情けなくなってきます(笑)
柔道もできて、花火師として将来も見据え、審判にもチャレンジして、
大学院を経て博士課程でも勉強されて、さらに驚いたのは大人になった38歳から
柔道整復師の資格も取得されてるのですね。
このチャレンジ精神は一体どこからくるのでしょう!
ここには記載していませんが、きっと天野さんのお子さんにも
このDNAは受け継がれていくのでしょうね!
経歴
1986年 – 福岡国際女子柔道選手権大会で銅メダルを獲得。
1990年 – 火薬類取扱保安責任者の免許取得。
1994年 – 火薬類製造保安責任者の免許取得。
1995年 – 柔道選手としての現役を引退。
2000年 – 宗家花火鍵屋15代目を襲名。
2001年 – 国際柔道連盟インターナショナル審判員資格取得。
2007年 – 日本の女性ではじめて北京オリンピック柔道競技の審判員に選ばれる。
2008年 – 北京オリンピック柔道競技で、男子100kg級決勝などで主審を務める。
2009年 – 博士号取得。
2014年 – 女性柔道家として初となる講道館評議員に選任
2017年 – 全日本柔道選手権大会で初の女性審判員となる。
2008年、2020年、そして今回のオリンピックにおいても柔道界に貢献されています。
こんなにも文武両道で世の中に尽くせる人ってあまりいないと思うんですよね。
素晴らしいという以外の言葉が見つからないですね。
東京オリンピック後にもこのように熱く語られています👇
もちろん今回のパリ五輪にも柔道団体から招集を受けて、
江戸川区も応援している様子ですね!!
みんなから愛されている女性と言えるでしょう(^^)
パリ五輪でのご活躍もパシャリ👍👇
なぜ柔道審判に?
当時、オリンピック競技に女子の柔道も加わったので女性審判員を育てようという動きがありました。父も柔道家で、その頃東京都柔道連盟の役員をしていましたので、柔道を引退したばかりの私に白羽の矢が立ったのです。
〜中略〜
天野家では父の一言は絶対で、打診してくることはやりなさいという意味に等しいからでした。審判員に魅力を感じたり、何か目標があって進んだという格好良いバックグラウンドはありません(笑)。
引用元:https://koken-publication.com/archives/1395
まぁでもお父様の先見の目と言いますか、この子しかいない!と直感で思ったのでしょうね。
それにしてもこのころは魅力を感じたりしなかったのですね。
今の天野さんからは想像できないです・・・
何でもチャレンジしてみないと分かりませんねぇ。笑それではどうやって花火師と兼業したのでしょうか・・・
なぜ花火師に?
小学校2年生の時には鍵屋の15代目を継ぐことを心に決めていました。父の背中を見て育っていたので自然なことだったのだと思います。それからは父の期待を裏切ることが自分の中では許せなかったので、いつでもいい子で居た気がします。
鍵屋の花火玉は協力工場へ発注するのですが、自分で花火製造の技術を身に付ければ、「できること・できないこと」を理解した上で職人と向き合って仕事ができると思い、山梨の花火製造工場で2年間修行をしました。
引用元:https://koken-publication.com/archives/1395
とてつもなく!笑
小学2年生の時ってまだ8歳ですよ!
それでもう将来の夢決めてるってすごい!
そして審判員に対しても花火師に対しても情熱がとてつもない!
審判員と花火師の二刀流の理由
「海外の試合に行くと自国を留守にしてしまいますから、審判員が本職の仕事を持ちながら世界をまわることは実は難しいのです。サッカーや、野球の国際審判員ですと生活ができるぐらいの社会的地位になってくるのですが、柔道の国際審判員はまだまだボランティアのような形なので、それだけでは生活はできない状況です。特に日本国内での審判員の仕事はボランティアになっていますので、別のお仕事を持っていないと難しいです。海外の皆さんも、柔道審判員に加えて、警察官、弁護士、お医者さんなど、国に帰ってもお仕事ができる社会的地位を持っていらっしゃる方も多いです。元々柔道の戦歴を持った方々もたくさんいらしています。」
引用元:https://koken-publication.com/archives/1395
驚きです!国際レベルの審判員も兼業しないと収入が成り立たないと?・・・・
だから天野安喜子さんも花火師を続けているのですね!
世界で16人しか選べれない審判員をしているほどの実力者でも兼業しなければならないとは驚愕です。
花火師も続けつつ、世界も飛び回り、柔道の試合も裁く?
そんなところに柔道への底知れない愛を感じますね!
とてもじゃないですが真似できません。笑
まとめ
審判員と花火師を兼業する理由についてまとめてみました!
こういった素晴らしい方が審判員を率いてくれているので今後の柔道の”誤審”も改善そして無くなってくれることを祈るばかりですね。”誤審”については読みたい方はこちらも合わせてどうぞ(^^)👇
今回も最後まで読んで頂きありがとうござました!